毎日数十万人が行き交う首都の玄関口、東京駅丸の内駅舎。重厚でクラシカルな赤レンガ造りの佇まいは、2003年に国指定重要文化財に指定され、今や東京を象徴するランドマークとして世界中から訪れる人々を魅了し続けています。しかし、普段何気なく見上げているその赤レンガには、近代日本の黎明期を支えた偉人たちの情熱や、幾多の苦難を乗り越えてきたドラマが刻まれています。
一体なぜ、東京の中心に建つ巨大駅舎の建材として遠く離れた埼玉の「深谷」で作られたレンガが選ばれたのでしょうか。第二次世界大戦の戦火をくぐり抜け、平成の大復原工事を経て現代へ受け継がれた駅舎の歴史には、知れば知るほど引き込まれる数々の謎が存在します。今回は、使われたレンガの膨大な総数から色の違いの秘密、知っておくべき鑑賞ポイントまで、歴史の深層を余すところなく紐解いていきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:東京駅の赤レンガは渋沢栄一が創業した日本煉瓦製造(埼玉県深谷市)で生産され、近代国家の威信をかけて供給された。
- 要点2:駅舎全体で約800万個以上の構造用レンガと数十万個の化粧レンガが使われており、外壁の「色の違い」は戦災を生き抜いたオリジナルと復原レンガの歴史の証拠である。
- 要点3:東京大空襲の壊滅的被害から2012年の保存復原工事を経て、創建当時の優美な姿が100年以上の時を超えて現代に蘇っている。
【歴史と建築】辰野金吾が設計した東京駅丸の内駅舎と赤レンガの誕生秘話
東京駅の丸の内駅舎が誕生したのは1914年(大正3年)12月のことでした。設計を手掛けたのは、日本近代建築の父と称される建築家・辰野金吾です。日本銀行本店をはじめ数多くの名建築を残した辰野は、赤レンガに白い花崗岩の帯を配した独特のデザインを得意とし、この様式は現在でも「辰野式」と呼ばれ高く評価されています。
当時、日本は日露戦争を経て国際的な存在感を高めていた激動の時代でした。日本の顔となる中央停車場の建設にあたり、辰野はヨーロッパの最新耐震構造を取り入れつつ、威厳と気品を兼ね備えた赤レンガ造りの壮大な駅舎を構想しました。全長約335メートルに及ぶ長大な建物は、当時のアジアにおいて類を見ない規模であり、近代国家としての日本の技術力と誇りを世界に知らしめる国家的プロジェクトだったのです。
【謎の真相】なぜ埼玉の「深谷レンガ」なのか?渋沢栄一と日本煉瓦製造の深い絆
東京駅の赤レンガを語る上で欠かせないのが、「新一万円札」の顔としても知られる実業家・渋沢栄一の存在です。明治政府が目指した官庁街の不燃化・近代化を推進するため、渋沢は1887年(明治20年)、現在の埼玉県深谷市に日本初の大規模機械式レンガ工場である日本煉瓦製造会社を設立しました。
では、なぜ東京から約70キロメートルも離れた深谷の地が選ばれたのでしょうか。最大の理由は、利根川水系の良質で粘り強い粘土が豊富に採取できたことにあります。深谷で作られた深谷レンガは、高温で均一に焼き上げられ、極めて硬質で耐久性に優れていました。さらに、専用の引込線や水運ルートを整備することで、大量のレンガを効率よく東京へ輸送するロジスティクスが確立されていたのです。
辰野金吾が求めた妥協なき品質基準と、渋沢栄一が築いた強固なインフラが合致した結果、東京駅丸の内駅舎の外壁を彩る主要建材として深谷レンガが全面的に採用されることになりました。
【圧倒的な規模】東京駅に使われたレンガの総数は何個?化粧レンガと構造用レンガの構造美
壮麗な東京駅丸の内駅舎を支えているレンガは、外から見える部分だけではありません。実は建物の構造そのものがレンガによって組み上げられています。建築には役割の異なる2種類のレンガが巧みに使い分けられました。
1つ目は、建物の骨格を支える構造用レンガ(並レンガ)です。駅舎全体で使用された構造用レンガの個数は、実に約833万個(一説には約870万個)とも言われています。これらが鉄骨の周囲に幾重にも積み上げられ、堅牢な躯体を形成しました。
2つ目は、建物の最も外側に貼り付けられた化粧レンガです。こちらは表面が滑らかで色合いが美しい特注品で、厚さは構造用レンガの半分ほど(約15ミリ〜20ミリ程度)にスライスされて使用されました。その数は数十万個に達します。見えない部分で建物を強固に支える構造用レンガと、華やかな美しさを演出する化粧レンガが見事に融合したことで、100年以上の風雪に耐えうる類まれな構造美が完成しました。
【戦災と奇跡】東京大空襲の炎上から2012年の保存復原工事まで|色の違いに隠されたドラマ
大正の近代化の象徴として華々しく開業した丸の内駅舎ですが、昭和に入ると過酷な運命に直面します。1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲により、焼夷弾の直撃を受けて3階部分と象徴的な南北のドーム屋根が炎上・崩壊しました。
戦後の過酷な混乱期において、駅舎は2階建ての仮復旧という形で復興(戦災復興工事)を果たします。ドーム部分は八角形の簡易な屋根へと姿を変えましたが、激しい炎にさらされながらも1階と2階のレンガ壁格は奇跡的に倒壊を免れました。
そして2007年、創建当時の姿を完全に取り戻すための丸の内駅舎 保存復原工事がスタートします。約5年の歳月をかけ、2012年に往時の3階建てと美しいドーム屋根が忠実に復原されました。この工事で注目すべきは、外壁の「レンガの色の違い」です。
駅舎を間近で見ると、黒ずみや風合いのある濃い色のレンガと、均一で明るい赤色のレンガが混在していることに気づきます。濃い色のレンガは、大正時代の創建および戦火を生き抜いたオリジナルの現存レンガです。一方、明るい色のレンガは、戦災で失われた3階部分などを再現するために新しく焼き上げられた復原化粧レンガです。あえて完全な同色に染め直さず、歴史の痕跡をありのままに残す手法が採られたことで、訪れる人は建物そのものから時代の移り変わりを肌で感じ取ることができます。
【2026年版】東京駅赤レンガの美しさを堪能するベストフォトスポット&見どころ
大改修を終えてから時を経た現在、赤レンガ駅舎は周囲の高層ビル群と見事なコントラストを描き出し、国内外の観光客から絶大な人気を博しています。訪れた際にぜひ立ち寄りたい、おすすめのフォトスポットと観察ポイントをご紹介します。
① KITTE丸の内 屋上庭園「KITTEガーデン」(6階)
丸の内駅舎を斜め上空から一望できる定番スポットです。南北に伸びる長大な屋根の形状や、八角形ドームのディテールを俯瞰で美しく撮影できます。入場無料なのも嬉しいポイントです。
② 丸の内駅前広場・行幸通りの中央アングル
皇居へと真っ直ぐ続く行幸通り側から正面を捉えると、左右対称の壮大なファサードが完璧な構図で収まります。特に日没後のライトアップ時は、赤レンガの温かみのある光が夜空に浮かび上がり、息をのむほどの美しさを見せます。
③ 丸の内ビルディング・新丸の内ビルディングのテラス
丸ビル(5階テラス)や新丸ビル(7階「丸の内ハウス」テラス)からは、駅舎を見下ろす角度で撮影が可能です。夕暮れ時のマジックアワーには、ガラス張りの近代ビルに夕日が反射し、レトロな赤レンガとの劇的な対比を切り取ることができます。
【東京駅の赤レンガ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:東京駅の赤レンガは現在でも深谷で作られているのですか?
A1:日本煉瓦製造会社は残念ながら2006年に操業を停止したため、2012年の復原工事で使用された新たな化粧レンガは、深谷産ではなく国内の専門窯元(愛知県や滋賀県など)で特注製造されました。しかし、当時の深谷レンガの風合いや吸水率・色合いを忠実に再現する技術が惜しみなく注ぎ込まれています。
Q2:東京駅のドーム天井にあるレリーフには何が描かれているのですか?
A2:復原された南北のドーム天井には、8つの方位を示す「干支(えと)」のレリーフ(丑・寅・辰・巳・未・申・戌・亥)や、羽を広げた大鷲、鳳凰などが精密に再現されています。残る4つの干支(子・卯・午・酉)は、辰野金吾が設計した佐賀県の武雄温泉楼門に設置されており、両方を合わせると十二支が完成するという粋な仕掛けが施されています。
Q3:赤レンガの壁にある黒い焦げのような跡は何ですか?
A3:1945年の東京大空襲の際に浴びた猛火の痕跡です。保存復原工事の際、あえて戦争の記憶を消し去ることなく、歴史の語り部としてそのまま保存・補強されて現在も外壁の一部に残されています。
まとめ:100年の時を超えて受け継がれる赤レンガの魂
東京駅丸の内駅舎の赤レンガは、単なる建築資材の枠を超え、日本の近代化への挑戦、戦災の悲劇、そして復興への不屈の情熱を今に伝えるタイムカプセルそのものです。渋沢栄一が情熱を注いだ深谷レンガの強靭さと、辰野金吾が描いた不朽のデザインが見事に結実したからこそ、1世紀以上の激動を乗り越えて輝きを放ち続けています。
次に東京駅を訪れる際は、ぜひ立ち止まってその外壁をじっくりと眺めてみてください。微妙に異なるレンガの色彩や風合いの一つひとつから、この国の歩んできた力強い歴史の息吹が確かに感じられるはずです。 (出典: 東京 駅 レンガ(Yahoo!ニュース))